インフルエンザウイルスは、インフルエンザを引き起こす人獣共通感染症の病原体であり、過去幾度となくヒトや家畜・家禽に対して深刻な被害をもたらしてきた。数年から数十年ごとに出現する新型インフルエンザウイルスによってパンデミックが発生する。また、ウイルス自身の抗原性を変化させることで、ヒトの免疫系から逃れ、季節性のインフルエンザを流行させるインフルエンザウイルスが存在する。本研究では、ヒトの間で季節性インフルエンザを引き起こすA/H3N2ウイルスを対象とし、感染に重要な働きをするヘマグルチニン(HA)を塩基レベルで解析する。そして、多変量解析的アプローチから、過去に採取されたウイルス株の塩基配列を調べ、インフルエンザウイルスのもつ特徴や変異のパターンを探る。また、得られたHA塩基配列の変異のパターンから、計算機上でウイルス株の変異をシミュレートし、ウイルス株の分布の予測を試みる。古典的な解析手法の一つである系統樹を用いて、A/H3N2ウイルスのもつ変異の道筋や遺伝関係を確認した。系統樹による解析の結果、A/H3N2ウイルスの系統樹は1本の長い幹をもち、そこから伸びる複数の枝で構成された特徴的な構造が確認できた。さらに、多次元尺度構成法およびLamらの提案する Binary encoding schemeを用いて、ウイルス株の低次元空間上での視覚化を行った。低次元空間上でのウイルス株の分布は、系統樹に見られた特徴と類似しており、A/H3N2ウイルスの特徴的な変異をよく表していた。多次元尺度構成法およびBinary encoding schemeによるウイルス株の低次元空間上での視覚化は有効な手段であること、そして、低次元空間においてもA/H3N2ウイルスの特徴がよく表現できることがわかった。また、本研究では、インフルエンザウイルスの変異モデルとウイルスの変異を模した変異アルゴリズムを提案し、さらに、過去のウイルス株からシミュレーションに必要なパラメータを推定した。提案アルゴリズムと推定したパラメータを用いて、ウイルス株の変異をシミュレートし、翌年のウイルス株の分布の予測を行った。予測の結果、過去に採取された分離株に近いウイルス株の予測を行うことができた。